スピリチュアルとお金と愛の関係って?
お金もエネルギーなの?
スピリチュアル的な幸福って?
愛の電池が満たされると、幸福って感じられるの?
どうやったら、必要なお金は手に入れられるの?
スピリチュアルって何なの?何ができるの?に訪問していただきまして、
ありがとうございます。
サイト管理人、藤原 誠了と申します。
このサイトは、スピリチュアル的に観て、
これって、どうなの?どういうことなの?ということを
いろいろな方たちのご協力の中で書かせていただいています。
疑問を持たれた方たちのスピリチュアルに対してのヒントになればと思っています。
このページは以下の項目でご紹介しています。
Contents
スピリチュアル的な観点でのお金と愛 ①愛=お金、スピリチュアル=お金なのか?
スピリチュアルな観点からのお金のとらえ方は、私たちが暮らしている、この世界的なとらえ方ではなく、お金もエネルギーとしてとらえることができます。
エネルギーがコインや札の形になって、循環しているととらえた時、それは、お母さんが子供のために愛情を込めて料理を作っている、そのエネルギー循環と何ら変わらないものとしてとらえることが可能ということです。
スピリチュアル的な観点でのお金と愛 ②お金をエネルギーとして考えてみる
スピリチュアルの話の中でエネルギーを循環させればとか、出せは出すほどお金が入ってくるようになるだとか、時々耳にしますが、それはどういうことなのでしょうか?
お金もエネルギーと同じものと考えたり、同じものととらえると、循環させていくことによって、入ってくる量も多くなると思います。止めていくと、川の流れと一緒で淀んできてしまう。ですから、回していく。
ただ溜めていたのでは、そこに隙間も生まれない。隙間がないということは、そこに入るスペースがない。イコール、お金は入らない。
では、入ってくるスペースを作るためには、どうしたらいいのか。
それは、先に出さなければそのスペースは生まれないということなのです。
けれど、出せば減ってしまうからと、みんな財布の紐をギュッと結んで大切にもってしまう。結果、気が付くと、あるものがただ減っていくだけということは、よく目にする光景です。
分かりやすい例でいうと、水。水は、一つ所で留まっていると、その水は腐ってしまいますね。
ところが、川のように絶えず流れて動いていると腐らない。お金も留めておかずに、川と同じようにエネルギーの流れをおこしておく必要があるようなのです。
スピリチュアル的な観点からのお金と愛 ③お金=幸福ではないのか?スピリチュアル的な幸福とは、愛の電池が満たされていること
一般的にお金というのは、この世界で生活していくためには欠かせないものであり、多ければ多いほど良いと思っている人がほとんどでしょう。
お金持ちの人がいると、ほとんどの人が、「お金があっていいね~。」とか、「お金持ちで幸せやね~。」という言葉がついて出たりします。
では、お金がたくさんある人たちが幸せかというと、どうでしょう?何千万円、何億円という資産を持っている人がいたとします。
当然、多くの人は、「何不自由なく暮らせて幸せね。」と考えます。
ところが、その家の家族を見てみると、お父さんとお母さんはいつもいがみ合っていて、子供たちとの親との関りは、勉強と出世のことばかりで、温かみのある交わりがないとしたらどうでしょう?
食事も豪勢な食材が使われ、食器も一流・・・けれど、そこには、家族の会話も団らんもないとしたら・・・これは極端な例かもしれませんが。
確かに物質的には満たされているかもしれませんが、本当に幸福かといえば、それはどうでしょう?
お金で幸せは図ることはできないというのは、そこでも分かると思います。
お金は、確かにエネルギーで、そのエネルギーがたくさんあればいろんなことが実現可能でしょう。
しかし、お金持ち=幸せという図式は、少し違うように思います。
本当の意味での幸せというのは、愛の電池・愛のエネルギータンクがどれほど満たされているかどうか。
スピリチュアル的な幸福を求めるということは、その愛の電池・愛のエネルギータンクを満たす方法を身につけ、そこに意識を向けて生活をするということに他ならない。
要は、お金というエネルギーを何のためにどう使い、愛の電池・愛のエネルギータンクを満たしていくのか。
お金というエネルギーを自他のそのタンクを満たし、注ぐために使っている人は、スピリチュアル的な観点にかなったお金の使い方をしている人ということになるのです。
社長が社員に給料を払い、その社員の家族が幸せに暮らしている。
社員は、その感謝で働き、感謝の心で作られた、その会社の製品をお客様が買われて喜んでいる。その喜びにお金というエネルギーを支払う。
これがお金というエネルギーを使った1つの愛の循環の形です。
別の考え方をすると、お金というエネルギーがあれば、豊かであり、そのお金というものを使って、その愛の電池を満たす方法は、いくらでも生まれてくるのでそういう意味では、愛の電池・愛のエネルギータンクを満たすための大切なエネルギーであることには間違いないです。
このようなお金のエネルギーの使い方をしていきたいですね。
愛の電池・愛のエネルギータンクに関しては他のページでも詳しく説明しています。
ぜひ、読んで見てください。
スピリチュアル的な観点でのお金と愛 ④愛の電池を常に満たしている状態であれば、必要な量のお金は入ってくる
愛の電池・愛のエネルギータンクが満されている時、その魂に必要なお金というエネルギーもまた、その丁度よい量でやってくるようです。
宇宙的に見たときに愛の電池・愛のエネルギータンクというのは、幸福感・その人の内側の愛の量でもあるのでその愛の量が満タンであれば、その愛の量が満タンで維持できるようその人・その魂自身に必要な量のお金というエネルギーが自然に与えられるようになっているようなのです。過もなく不足もなく、その人に丁度よい量が・・・笑。
例えば、大きなお金のエネルギーを使い、大きな社会貢献をしている存在もあれば、人里離れた山の中で丁寧に丁寧においしい野菜を作っている老夫婦がおられるとしましょう。
どちらも高い魂の存在なのですが、前者は、大きな事業をこなし、多くの人を救い、多くのお金のエネルギーも動いている。
一般的に見たら。大きな事業・大きなお金を動かして展開して多くの人を救っている。その人の方が満足感や幸福感が大きいように感じるでしょうが、実は、そのどちらも魂のレベルは、かなり成熟しておられて高く、幸福・満足度は、同程度なのです。
その老夫婦が真心込めて作られる野菜は本当に美味しい。
けれど、その老夫婦が大豪邸に住んでいるかというとそうではなく、質素でその生活に十分な量のお金だけで、本人たちは大満足でそこに住んでおられる。
もちろん、いつも慈しみ合って、助け合って、喜ばれる野菜を作っていて、愛の電池・愛のエネルギータンクもフル満タンなのです。
少し遠回しな言い方になりましたが、要は、お金=幸福ではなく、お金というエネルギーをどう働かせ、そこに何があるのかで、人間の幸福感は決まってくる。
そしてスピリチュアルな観点で、生きている人たちは、その目的が愛に通じているとき、大きな幸福感に繋がっていると知っている人たちを言うのです。