スピリチュアル的に天災・原発、どういうものなの?
天災・原発と愛の関係性って?
天災が起こるのには、意味があるの?
天災と魂の成熟段階って関係あるの?
震災・原発事故から観る魂の成長段階って?
スピリチュアル的に観て、原発のエネルギーって?
スピリチュアルって何なの?何ができるの?に訪問していただきまして、
ありがとうございます。
このサイトは、スピリチュアル的に観て、
これって、どうなの?どういうことなの?ということを
いろいろな方たちのご協力の中で書かせていただいています。
疑問を持たれた方たちのスピリチュアルに対してのヒントになればと思っています。
サイト管理人、藤原 誠了と申します。
このページは以下の項目でご紹介しています。
Contents
スピリチュアル的な観点での天災・原発と愛 ①スピリチュアルな観点で天災が起こるのには意味があるのか?
天災と呼ばれるような自然現象、例えば、よく見るものでいうと台風があると思います。
台風は、気象的には自然発生的に起きている・できると考えられますが、スピリチュアルな見方をしたときには、簡単に言うと地球で溜まった大きなエネルギーを台風という形でエネルギーを放散させバランスをとっているという見方ができます。
地球上で膨らみ・増幅したマイナスのエネルギー・怒りや悲しみ・憎しみ・ストレスというようなエネルギーを台風という形でエネルギー放散してバランスをとっていると考えられます。
地球が自らその膨らました・増幅させたマイナスなエネルギーなどを安全に放散するために台風が発生していると考えた時、いつも気嫌いしている台風には、実は「ありがとう。」の念を送るべきなのかもしれません。
なぜなら、それ以上の危機的な状況になるのを避けるために台風が、その放散を引き受け人間達からは、疎まれているのです。
全ては、人間の営みによって発生してしまったマイナスのエネルギーであるのにかかわらずです。ですから、これを知った皆さんは、台風が発生した時、「ありがとう。」を送るようになった時、台風の被害は、もっと防げるかもしれません。
こう考えると台風は、地球が地球上の生命を守るために起こしている愛の形と考えられるかもしれません。
天災というと阪神大震災や東日本大震災に伴う福島原発事故、最近で言うと熊本の大地震などが思いだされます。
この大きな震災だったり、出来事というものを、その大きな現象が何のためにそこで起きて何を見せているのか?
そこにいた人々が何故その出来事の犠牲になるということを魂に引き受けてくださったのか?という高い視点を持つことが大事です。
今この時代に、今この地球上のこの社会に何を伝えるためにここまでのものを現象として表に表して、そこに犠牲になった存在たちが、どんな役目をもってそれを引き受けて示してくださったのか?
そして、それを見た私たちが、そこから何を学んで、どう未来に活かしていくのか?というとらえ方を常にしていかなければならないと思います。地球というこの星も、1つの生命体。地球自身も星としての成熟に向かって上昇しています。
地球は愛の星。
多くの生命を育み、守る母なる星。まだまだ未成熟な私たち人間が母であるこの星に甘えているのは間違いありません。
母である地球の溜まってしまった負のエネルギーをこうして放散しなければ、もっと大きな被害が起こるということなのです。
スピリチュアル的な観点での天災・原発と愛 ②天災は、私たちの魂の成熟段階が試されている
スピリチュアル的な視点で見た時・・・これは、非常に発言をとても丁寧にしないとならないのですけれども、天災で亡くなった人たちも、また、その魂が大きな役割を引き受け承知していたとみることができます。
あくまでも、顕在意識の自覚の分野ではなく、魂的にということなのですが。
そのご家族にとっては、そんなことでは片づけられない、大切な人を失った悲しみや苦しみの中にあるわけですが、その出来事を体験したり、見たり、聞いたりした私たちが、その出来事や犠牲となった命たちから何を観て感じ、未来に活かしていくかが、とても重要なのです。
そして、今のその学び方によって、この地球に住む私たちの魂の成熟段階も試されています。
私たちが、その悲劇的ともいえる、その大惨事から、その惨事が伝えてくる「真の教え」をしっかりと学び活かさない限り、同じような現象が何度も引き起こされてくる。
それらは、すべてこの壮大な宇宙の愛のプログラムによって、この地球と共に人類に大きな愛と成長の期待をかけて、その成熟に至るチャンスを与えてくれているのです。
この宇宙の壮大な愛のプログラムと無償で命を育み守り続けてくれている母なる星、地球の愛に私たち人間は、ついつい甘え、与えられている恩恵を当たり前のように、もっと言うなら、いい気になって自分たちの欲望のために破壊を繰り返し、あぐらをかいて生きてしまう。
そんな状態があまりに続いたとき、宇宙の愛のプログラムにより、厳しい現状を与えて、当たり前ではない恵まれた日々や、命のはかなさ、尊さ人間の凄み、助け合い(愛)、分かち合い(愛)励まし合い(愛)という、多くの愛を嫌というほど学ぶこととなるのです。
言い換えると、愛を学び成熟した魂だらけになった時、それらの現象は、もう与えられる必要なくなるということでもあるということは、スピリチュアルな気づきの多い方は、もうわかっておられますね。
スピリチュアル的な観点での天災・原発と愛 ③震災・原発事故に見る、私たちの魂の成長段階の現状
この時、多くの日本人、そして世界の人々が自然災害の恐怖と原発という大問題を真剣に見つめ考えました。
被災を受けた町の様子や人々のその姿から、今の生活ができていることへのとめどない感情があふれ、そした、節電にはじまり、救援物資を送ったり、寄付したり、皆が今の自分に何ができるのだろうと考え、行動に移した人、祈った人。その数は、かなりにのぼったはずです。
その時、皆さん、思い出してみてください。被災を受けたその他の地域の人たちは、悲惨な我が国で実際に起きているその場所を想い、今の自分がどれだけ〝有り難い〟日常にいるのか。朝から晩まで〝有り難い〟に気づき、感じたことでしょう。
〝有り難い〟今に気づくことで、皆、自分の内側の愛の電池や・愛のエネルギータンクは、充電され、その頃を思い出してみると、それまでは「やれ、支払いができない!!」「やれ、仕事がうまくいかない!!」「やれ、人間関係がうまくいかない!!」と苦しみの中にいた人たちも「いやいや、それでも自分は、なんて有り難いんだろう。
被災地を思ったら、このくらいの困難なんて大したことない。自分はなんて幸せなんだ。」と感じて日々を暮らした人が、どれだけいたことか!
ところが、今はどうでしょう?時間の経過と共に、その感情は薄らぎ、あれだけ感じていた〝有り難い〟の気づきは、どこにいってしまったのか?
数カ月、数年経てば、喉元過ぎれば、その尊かった気づきがなくなりがちになって、またボヤキながら、愛の電池・愛のエネルギータンクを消耗させていく。それが現段階の私たちの成熟度です。
もしも、それを常に持続できて、愛の電池・愛のエネルギータンクを満タンにさせて、それを互いに分け与えて、分かち合って、共に生きるという姿になったとき、私たちの魂はかなりの成熟度に達し、この地球と共に次の段階へと次元を上昇させていくことになるのです。
スピリチュアル的な観点での天災・原発と愛 ④東日本大震災に原発事故が含まれてしまいましたが、原発というエネルギーに対しての警鐘なのか?
すべての出来事には、壮大な宇宙の愛が組み込まれているという視点に立って、この原発事故を観た時、原発というエネルギーに頼りながら、この地球の生活が営まれていることに関して、もっと深く真剣に向き合いなさいという印であることには間違いないと思います。
原発で使われていたウラン燃料によるエネルギーは、地球上にあるものを意図的に化学反応させて、まったく異物のものを誕生させて大きなエネルギーを生み出している。
そして、不要になった時には、地中の奥深くに埋めて処理をする。
そして、それらは、土の中に埋めようと何をしようとその後ずっと長い年月の間、地球の環境・生物に対してマイナスな影響を与え続けるものなのだ。
半永久的にこの星や生物たちにマイナスな影響を与える物を人類は、大きなエネルギーを確保するために、自らの手で生み出していることへの警鐘であり、気づきを促されていることは間違いないでしょう。
ただ、この原発という大きなエネルギーに対して考えたときに、その警鐘を飲み込んで、どこまで人類が、その気づきの中で未来を考えていけるのか?
今の過剰な豊かな生活をどれだけの人たちが手放していけるのか?というところに地球上の人類への魂の成熟度が試されているのでしょう。
けれども、今の段階では、今ある過剰な豊かな生活を手放すことを世界に推し進めるということは、至難の業です。
至難の業ではあるが、〝万物の霊長〟すべての命の長としての役割を与えられた私たち人間がやり抜いていかなければならない課題なのです。
一人一人が、そのことに対して真摯に考え、気づき、そして自分の魂の成長をどう行動し、上げていくか。
大きなことでなくていい。一人一人の魂が、今の自分にできるそれぞれの働きを精一杯取り組んでいくだけのことです。
自分の愛の電池・愛のエネルギーを満タン・フロー状態にさせながら・・・。