霊媒体質の弟を必死で守る叔母を見て育った子供時代
弟が霊媒体質であり、子どもの頃から霊能者・スピチュアルな方々と身近に接する環境にいました。
その頃に一番影響を受けたのは、叔母です。
修行を積み、拝むとご神仏さまのお言葉が出る叔母にいろいろな神社仏閣へと連れて行ってもらうという子供時代を送り、弟を守ることで必死であった叔母の姿を見て育ちました。
弟とは、お互いに家で金縛りにあったときの様子を答え合わせのように言い合い、共通点を探して「同じ人が金縛りを起こしてるね!」などということをする少し変わった年の離れた兄弟でした。
スピリチュアルな方が言うには、小さい頃にいろいろな存在と話をしたり、遊んでいたが、怖くなってしまいシャットアウトしたとのこと。
この頃のことは、まったく覚えていません。
スピリチュアルの道を探求することとなった出会い
学生時代は、部活動に汗を流しましたが、ケガにより競技を続けることを断念。
社会人になってからは、はじめての上司となった方が仕事とは別に使命を持ち、修行を積み、霊能力を持つ霊能者でした。
ここから、また霊能の世界・スピリチュアルな世界と関りを持つようになりました。
この方にもいろいろな神社仏閣に連れて行ってもらい、今現在、滝行をさせて頂いている弘法大師ゆかりのお寺も、この当時に教えて頂いた場所になります。
さらに、この方には、このスピリチュアルの道を探求するきっかけとなりました、篠栗四国八十八か所霊場 28番札所 大日寺 住職の霊能者の庄崎良清氏もご紹介いただきました。
庄崎良清氏からは、2~3度目にお会いした20歳の時に「霊能者の道を進まないか?」とお声がけをいただき、その時には、まったくその気はありませんでしたが・・・このお声がけが頭から離れず、その後にスピリチュアルの道の探求を始めることに繋がっていきます。
社会勉強のための20年間
「霊能者の道を進まないか?」とお声がけいただいてからスピリチュアルの道にどっぷりと入るまでの20年の期間は、世の中を見て勉強するための20年間であったと思います。
大企業の子会社、中小企業、一般的にブラック企業と言われるような会社、ワンマンオーナーの個人商店、そして私自身が個人で行う事業といろいろな仕事を経験。
大企業の子会社では、資金がしっかりある中での大手の仕事というものを学び。
中小企業では、売上ゼロのダメダメ営業マン・現場に入れば工場試運転中に労災事故を起こすという問題社員から数年後には社員の中でのトップである工場長を任せられるという経験までさせてもらうことができました。
ブラック企業では36時間以上も一人で機械のオペレーターとして勤務し続けるという激務も経験し、この時は本当に自分で「何やっているんだろう・・・。」って思っていました。
個人で仕事を請けていた時には、半年間以上も業務に対しての支払いをしていただけなかったり、資金繰りの大変であった知り合いの会社社長に数百万円のお金を貸した後、夜逃げ同然で逃げられるという本当に悔しい経験もしています。
しかし、この経験がご相談者様へのセッションをさせて頂く為に必要な経験だったと今は思っていますし、大変に役立っています。
何者かに守られている・・・
この社会勉強の20年の中で、2度の自動車事故と2度の労災事故を経験、そして両親のガンによる治療で何者かに守られている・・・ということにも気づかされました。
1度目の自動車事故は、凍結した道路を走行中にタイヤをスリップさせ、石垣に正面から衝突。
エアバックが出た瞬間に自分とエアバックの間に更にクッションになってくれ私を守った存在がいたことを感じます。
その存在のおかげで、車は廃車となりましたが、自分自身は無傷でした。
2度目の自動車事故では、真夜中に居眠り運転。
ものすごい衝撃で目が覚め、車を止めてくれた縁石の目の前には、お地蔵さまのお堂がありました。
居眠りをしたまま約5km運転していた車、私を止めてくれたのは、道端のお堂にいらっしゃるお地蔵さまでした。
車がその場所で止まっていなかったら、どのような事故になっていたかと思うと本当に怖さを感じます。
実際に車が止まった直後に大型トラックが数台、動けない状態で停車している私の車を横切っていきました。
2度の労災事故は、両方とも左手に障害が残ってもおかしくないほどの事故でした。
特に2度目は、約400kgもの重量のある機材を左手で受けるという大事故。
左手は、ひどい状態で人差し指をつぶしたうえに切断、中指は複雑骨折・・・
足に当たっていれば歩けなくなる・・・体に当たっていれば命がなかったと思います。
大怪我ではありますが、ケガが最小限で済む場所を選んで機材が左手に当たってくれた感じでした。
医師より手術前に指が付かない、動かなくなるという説明を受けたうえでの僅かな望みにかけた手術。
リハビリに長い期間通いましたが、今は人差し指の指先の少し感覚麻痺が残るだけで生活にまったく支障はありません。複雑骨折した中指もまったく問題なく曲げ伸ばしできるようになり、医師も「奇跡的な回復!!」と言ってくれました。
もちろん担当してくれた医師の技術はあると思いますが、何かの力も働いたと思っています。
これは、後で分かったのですが、たまたま救急車で運ばれた総合病院は手の神経を繋いだりすることに対して、全国の大学病院から患者が転院してくるような手・腕の治療に関して、日本で一番と言われている整形外科のある病院でした。
そして、これもなんとも信じられないことなのですが、2度の左手の手術を担当してくださった医師が同じ先生なのです。もちろん、手術を行った病院は違いますが、2度目に運ばれた病院に移られていたのです。
このようにビックリとするようなめぐり合わせにも出来すぎと思わざる負えないものを感じずにはいられません。
両親のガン治療に関しましては、母親のガンはかなりの進行でした。命がなくてもおかしくない進行状況。今は普通に生活させていただいています。父親は早期発見によって、助けていただいています。
このように世の中を見て勉強しながら、何者かに守られているということを思い知らされた20年間でありました。
存在を示してくれたご神仏さまを拒否・・・
そのような気付きもあり、30代前半から滝行を始め、守ってくれている何者かへの探求の旅が始まりました。
そんな中、30代半ば過ぎにご神仏さまの声が聴こえるという状態に一時なりました。
そのご神仏さまは、しっかりと証拠となることを示してくれましたが、自分自身が受け入れられず、頭がおかしくなったと思いシャットアウト。
シャットアウトしたのに何者かに出会いたいと、滝行や般若心経をひたすら読みあげるという矛盾した生活を続けました。
その時には本当にご神仏さまに失礼なことをしたと思っています。最初に書いたように子どもの頃に同じようにシャットアウトしているので、2度目のシャットアウト・・・
そのご神仏さまは今でも私を近くで見守ってくれています。
不思議な体験、怖い体験
そのようないろいろな経験をしている中、他にも不思議な体験、怖い体験をしています。
自分の前世である方が家に訪ねてくるという、面白い体験もしました。
シャンプーをしているときに、お風呂場に現れ、正直「マジか・・・!!よりによって、今かよ!!」と思ったことを強烈に覚えています。
その時、直感的に「この人は自分だ!!」と感じることができました。
その方が家にいる間、電化製品が誤作動。
母親は入院中でしたが、父親が勝手に起動を始めるエアコンを見て怖がっていたことを思い出すと今でも笑ってしまいます。
出張中のホテルでも何度も怖い体験をするということもありました。
何度流しても、次に行くと便器に大量に髪の毛のあるトイレ・・・
壁を叩き続ける音が永遠に続くユニットバス。中に入ると音もしないし誰もいない・・・
寝ていると、金縛りになり、ベットをトランポリン代わりにして子供のようなものが遊びだす・・・などなど。
本格的にスピリチュアルの道へ
20年のこのような経験を経て、お知り合いのスピリチュアルな方に時間があるときにレクチャーしてもらうことを始め、いろいろな先生のところに出向いて本格的にスピリチュアルな学びを始めました。
その中でサイキックスキルを磨くだけでなく、自分の中の価値判断・設定により世の中や自分に起こることが変わるということも学び、今まで起きたことに対しての原因が自分であることを認識させられ、現在もこの学びに取り組んでいるところです。
自分自身、子どもの頃から霊能者・スピチュアルな方々と身近に接してはいましたが、「スピリチュアルや霊能って何なの?何ができるの?」というところからのスタートでした。
スピリチュアルに興味を持っていただけることへの入口としてお役に立てたらと思っております。